様変わりした殺人事件

2月5日午後4時すぎ、和歌山県紀の川市で小学5年生の男児が近所の無職の22歳の住人にナタで頭を叩き割られて殺され、2月20日未明には川崎市多摩川河川敷で中一の少年が18歳の男らにカッターナイフで首などを切られ殺害された。

被害者はいずれも何の非もない児童生徒で、殺害の方法が残忍極まりないものだった。

ナイフで首を切ったり、突き刺して殺害する方法は動きを封じてのものだ。私は拘置所と刑務所で多くの殺人犯に接したが、ナイフや包丁で首を突き刺して殺したという日本人は記憶にない。

殺害方法が残忍だったのではっきり覚えているのは、27、8年前バブル景気の頃、日本に出稼ぎに来ていたパキスタン人が同国人の同僚の首をナイフで切断したという事件である。会社の寮で就寝中に襲った殺人事件だった。

1月20日から二月初めまで、ISの日本人人質事件の動画がテレビで放映され続けた。後藤さんと湯川さんが殺害された映像と写真はテレビでは隠されたがインターネットでは視聴できた。

川崎の事件以外にも首を刺す殺傷事件が起こっている。

この画像の影響であることは間違いないだろう。

小中学生までスマホを持つようになった現在、日本的なモノの考え方や常識、モラルによって子どもたちを護ることは出来なくなった。

国境のないインターネットによってスマホやパソコンには悪意とか一神教の人たちに認識されている魔的なものが溢れていることに気づくべきなのだ。

通話やメールだけでなく事件、事故の他、ポルノなど非日常の動画が指の操作だけで何時で視聴することができる。単なる噂話や風評でも憎悪や嫉妬が増長し、殺傷事件が起こるのだから映像を見ることによって何が起こるかは推して知るべしだ。

 

ISによる人質殺害画像を生徒に見せた教師の大罪

小学校と中学校の教師が授業中に、ISがインターネットに流した人質殺害画像を生徒たちに見せたという報道があった。

校長や教育委員会は大した問題ではないと思っているのか、処分するとも言わないし、マスコミも追求しなかった。

人が殺される画像は大人でも心に深い傷を負う。大変なストレスなのだ。

死刑の執行という職務でさえ、心を病み、うつ病になって退職せざるを得なかった刑務官を私は複数知っている。

私も辞職後20年経った今でも、刑務所の夢を見る。夢の中で私は現役の刑務官に戻っている。死刑執行や囚人同士の殺傷事件などで実際に経験したことが元になっているのだろう、実にリアルな光景が繰り広げられる。

目が覚めて「ああ夢だった」と、ほっとすると同時に嫌な気分になる。

子供の頃の虐待や学校でのいじめが大人になってからの犯罪の引き金になるというのは、精神鑑定でもよく認められている。

心が病むと、身体は病気になるということが、科学的にも証明されつつあるが、それは同時に、人間の心が痛む、あるいは傷つくと、社会では犯罪が増加するということになるのだ。

私は、児童生徒たちが病気にならないように願うとともに、当該教師には「傷害罪で告訴・告発されても仕方ないほどのことをしたのだ」と、自覚してほしいと思っている。

 

河上和雄さん逝去 

日テレの報道番組バンキシャで歯に衣きせず痛快なコメントや批判を10数年以上語り続けた河上和雄さんが2月7日亡くなった。81歳だった。

 元東京地検特捜部長という紹介でテレビ出演をされていたが、河上さんの素顔は『鬼の特捜検事』というより、ヒューマンなリーダーだった。

 私は昭和五十年代に法務大臣官房会計課長をされていた河上さんの部下として二年余り仕え、昭和の終わりと平成のはじめには法務省矯正局長の河上さんに監獄法改正を踏まえた法令整備のプロジェクトチームの一員として重要な大きな仕事をさせてもらった。

 

 2015.2.14写真

 【写真説明】昭和63年、河上さんが矯正局長当時の法務省。赤レンガが大臣室、官房、刑事局などが入る本館。奥の灰色の鉄筋コンクリート七階建て別館4階が矯正局。

 

私が作家を目指して46歳で広島拘置所総務部長の職を辞した時には、既に退官され弁護士登録された河上さんに呼びつけられた。

「お前が矯正の職を投げ出したことは残念だ。ポリシーがない所長ばかりになってしまったが、何人かに期待していた。その一人がお前だったのだが」

と身に余る言葉をもらった。

 河上さんは若い職員にも女子職員にも絶大な人気があった。検事らしくない穏やかな優しい目をした人だった。

「神田のテイラーの次男坊で、兄貴は作家の三好徹だ……」と官房会計課長時代に自分の話をしてくれたのを覚えている。

今一度、河上語録を熟考してみようと思っている。

そして、今後の執筆に活かし、河上さんが憂いたこの国の未来を少しでも良くする方向に導く努力をしたい。

 

 

 

カンボジアに単身移住! 伝統織物の村を作った日本人

 

森本喜久男さんと村をテレビでみてください。

 森本さんは京都の手描き友禅職人でした。

40年前、タイでクメールシルクに出会い魅せられます。

 内戦終了時 森本さんは、消滅寸前だった伝統の織物技術を守る時間は〈残り少ない!〉と、一念発起。カンボジアに渡りました。

 分散・離散した養蚕、紡ぎ、染色から機織りまで伝統の技術を持つ人たちを探し出し、破壊された村を再生。ついに伝統の手間と技術を継承させる村を作りました。

そこは、世界遺産アンコールワット圏内にあります。

 

2015.2.6写真1

写真説明:親子3代の女性たちが黄金の繭を紡いでいます

 

 2015.2.6写真2 

写真説明:2児の母です。

 

明日の夜 放送です。

2月7日(土曜日)午後9時から TBS系 日立『世界ふしぎ発見!世界で出会ったステキな日本人79分スペシャル』 

 

日立 世界ふしぎ発見!

http://www.tbs.co.jp/f-hakken/

 VAGRIE

http://www.vagrie.jp/vagrie/

 

 

死刑の現場を知っている唯一の現役作家